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新聞配達

短編小説
ホラー
オリジナル
2016年10月05日 11:09 公開
1ページ(6231文字)
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橘伊津姫

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新聞配達

高校の3年間、新聞配達のアルバイトをしていた。
高校を卒業したら進学せず、実家の家業を継ぐ事が決まっていたので、クラスメートのように大学受験や就職活動で焦る事もなく、俺はせっせとバイトに精を出す事が出来た。
別に遊ぶ金が欲しかった訳でも、家計が苦しかった訳でもない。
家業を継ぐ代わりに、高校3年の夏休みに一人で旅に出る約束を両親と取り交わしていたからだ。
自転車で、自分一人の力で行ける所まで行ってみたい。
そのための資金集めとトレーニングを兼ね、朝刊配達を3年間続けた。
朝早いのと、天気の悪い日は大変だったけど、夏なんかは早朝の爽やかな空気の中を自転車で走るのは気持ちよかった。
俺が担当していたのは、全部で100件くらい。
最初からそんなに担当していたわけじゃなく、50件ほどから徐々に増やしていった。
俺の配達している地区はアパートやマンションが多く、一度の配達で件数を稼げるのも理由の一つ。
真面目にコツコツとやってきたから、店にも信頼してもらっていたというのも理由かな。

明け方、って言っても夜中だな。
午前2時半に起き出して準備をし、3時には販売店に到着。
そこで用意してある新聞の束を自転車に積み、配達に出発!
まだ寝静まった町の中を、自転車のライトを頼りに走っていく。
まるで自分が町の主になったような気分。起きているのは配送のトラック運転手と、コンビニの店員、神経質な犬ぐらいのもんだ。
俺が担当している地区は、ベビーブームの頃に乱立した団地やマンションが多い。
くすんだコンクリート、切れかかった廊下の電灯に空きの目立つ郵便受け。錆びの浮んだ児童公園の遊具は、見るたびにありし日の栄華を思い出させて少し切ない。
もちろんエレベーターなんて上等なものはなくて、自分の足を使って階段を6階まで昇って、また降りてくる。
そこらへんのジムに通うより、よっぽど足腰を鍛えられる。
そんな俺の受け持ちの中に、木造2階建ての古いアパートがある。
薄い合板のドア、汲み取りトイレの排気筒のある昭和の香り漂う安アパートだ。
新聞をとっているのは1件だけ。
ギシギシと音を立てる古びた階段を上がり、薄ぼんやりとした光を投げかける玄関先の灯りをたよりに目的のドアの前に立つ。
ドアに設えられた新聞受けに朝刊を滑り込ませる時、その内側からひんやりとした空気が流れてきて、俺の指先に触れる様な気がする。
そんな事を毎日繰り返し、毎日感じる。
住人の姿を見た事はない。まあ、俺が新聞を配達する時間は、大概の人間は眠っているわけだし。
だけど、毎朝新聞を配達する、それだけの関わりでも何となく住んでいる人間の事は分かるようになる。
玄関先に置いてある傘や自転車、鉢植え、出すつもりの空缶の袋なんか。
「この家は小さい子供がいるんだな」とか、「ここは独身男性の一人暮らしだな」なんて具合に。
どんな人が自分の配達する新聞を手に取り、広げて目を通してくれているのか。それも新聞配達の楽しみの一つだ。
なのに、この古アパートには住民の生活臭がない。
果して何人の住民が住んでいるのか、どんな生活をしているのか、全く伝わってこない。
ただ毎朝ドアに投函する朝刊だけが、そこに住民がいるという証のようなものだ。
前日の新聞や郵便物が溜まっていた事は無い。だから誰かが住んでいるのは確かだ。
人が住んでいれば、建物全体に何となく生命感がある。
「人の住まなくなった家は急激に朽ちる」って言うけど、あれは迷信なんかじゃない。本当にそうなんだ。
誰も住まない建物はその至る所から「生気」が抜け、考えられないスピードで傷んで行く。
建物が「死んで」いるんだろう。
そう思ってみると、この古アパートはその状態にとても近いように感じる。
かろうじて形を保っている。息も絶え絶えに建っている。そんな感じだ。
だからという訳でもないだろうが、このアパートは俺の想像力を刺激するに十分すぎるほどだった。

やたらと暑かった夏がようやく終わり、涼しくなり始めたと思ったら、いきなり季節をすっ飛ばして寒くなり始めるという、何だか落ち着かない不安定な日々。
俺はいつもの通り、決められた時間に間に合うように起き出し、決められた枚数の新聞の束を受け取り、決められた道順をたどって、決められた家に配達していく。
何も変わった事等ない、ありふれた早朝。
同じように軋む階段を注意深く上がり、薄暗い廊下を玄関灯の鈍い光を頼りに進む。薄く、年季が入って表面の浮き上がっているドアに口を開ける新聞受けに折りたたんだ新聞を滑り込ませ、階段へ戻ろうと振り返った時。
「?」
これまでに感じた事のない違和感。
その正体は、玄関脇にある台所の小窓。アルミの枠で囲われた、そこ小窓が開いている。
ここの部屋は廊下の突き当たり。台所の小窓の前を通って玄関へ辿り着く。
来た時は……閉まっていた……よなぁ? 記憶は定かではないが、でも閉まっていたと思う。いつもだって閉まっていたし。
窓が開く音もしなかった。室内で誰かが動き回っている気配もない。アパート全体がシンと静まり返っているなかで、真っ黒い口を開けているように、小窓が開いている。
なぜだか背筋がゾクッとした。訳もなく嫌な気分になる。
それでも、その小窓の前を通らなければ階段へは戻れない。
俺は息をひそめながら、そっと一歩を踏み出した。自分の存在に「向こう」が気付かなければいい、そんな漠然とした不安を抱えながら。
だが、俺の期待は打ち破られた。
アルミの枠の奥、網戸の貼られたその奥から、じっと俺を見つめる痛いほどの視線を感じる。
瞬きを忘れ、緊張から乾いてしまった眼球を、そろそろと動かして視線を移す。
きっと、気のせいだ。勇気を持って見てみれば「なぁんだ、俺って案外ビビリだな」って感じの景色があるはず。人の家を覗こうなんて罪悪感が、こんな気持ちにさせるだけだって。自分に必死に言い聞かせる。
早足で通り抜けてしまえばいい。この場からさっさと立ち去り、残っている新聞を配達しなくては。俺の配る新聞を待っている人はまだ沢山いるんだ。
そう心を奮い立たせようとしていても、体がそれを受け付けない。冷たい早朝の空気が流れる、古いアパートの廊下。くたびれたコンクリートの床に、張り付いたように俺の足は動かない。
全身が金縛り状態だ。視線だけがわずかに動く。気持ちの悪い汗が額に吹き出し、瞬きを封じられた目の中に入る。
視界に入る鈍い銀色のアルミ枠。油とほこりで汚れた、かつては青かったであろう網戸。3~40センチほどの大きさの台所用小窓。
そこにあるのは……青白い年配の女性の顔。
虚ろに見開かれた瞳は白く濁り、弛緩しきった口元はだらしなく開かれている。表情はなく、小窓一杯に押し付けられた顔のせいで、網戸は外へ向ってたわんでいる。細かな網戸の目が皺の浮んだ皮膚に食い込んでいる様子さえ見て取れる。
俺とその「顔」との距離は、ほんの数十センチ。
「──ひぐぅっ……!!」
俺の喉が息を吸い込み損ねて、妙な音を立てた。叫び出したいのに、うまく声を出す事が出来ない。吸う息と吐く息が喉の奥で絡み合い、まるで痙攣を起こしているようだ。
何も見ていなかった目に、何かの意志が宿った……ように見えた。いきなりギョリギョリッと眼球を動かすと、俺の顔に向けてピタリと視軸を定めた。
ポカンと開かれた唇がピクピクと蠢き、闇のような口から言葉とも呼気ともつかない音が漏れだす。
「────っっっ!!!!!」
ようやく体の支配を取り戻した俺は、弾かれたように薄暗い廊下を走り出した。
ダメだ、あの「顔」が発する言葉を聞きたくない! 聞いちゃダメだ!!
朝早いんだから、なるべく音は立てないように。
そんな朝刊配達のルールも忘れて、一段抜かしでアパートの階段を降り、道端に停めてあった自転車に飛び乗った。
頭の中にある、あの青白い「顔」を振り払おうとペダルを踏み込む。忘れろ、忘れるんだ! そう思えば思うほど、俺の脳にこびりついて離れないんじゃないかと思った。
どうやって新聞を配達し終わり、自分の家へ戻ったのかさえよく覚えていない。その後、店に苦情がなかったようなので、配達をミスった心配はなさそうだ。
この日は1日、何をしていても「顔」が浮んできて、学校へ行っても気持ちが落ち着かなかった。誰かに話してスッとする内容でもない。第一、うまく説明できない。俺自身がよく理解できていないんだから。
それでも「顔」は俺に付きまとい、思い出すたびに背筋に寒気が走った。
明日もまた、新聞の配達に行かなくてはいけない。あの「顔」は、まだあそこにあるんだろうか?
憂鬱な気持ちを抱えたまま、俺は授業を終えた。
今日は給料日。学校の帰りに明細書をもらいに店による日だ。
先輩の誰かなら、あのアパートの事を知っているだろうか? いきなりルートを変えて下さいって言っても、ムリだろうなぁ。やっぱりこれから先も、あの家に配達に行かなくちゃダメなんだろうか?
知らずため息がこぼれ、ペダルをこぐ足から力が抜ける。普段の倍近い時間をかけて、俺は店に辿り着いた。
「おう、来たか」
代理店の親父さんが俺の顔を見て声を掛けてきた。
「何だ何だ、いい若いモンがそんな顔して」
茶封筒に入った給料明細を手渡しながら、親父さんは空いている手で俺の肩をバンバン叩いて笑う。
その声と手の温かさに、俺は少しだけホッとした。
「ああ、そうだ。明日から、ちょっとルート変わるからな」
親父さんが煙草をくわえ、ライターを探しながら言った。
「1件、配達がなくなってな。ほれ、あの古いアパート。お前の管轄だろ?」
「え? あ、はい……」
「あそこ、明日から配達しなくてもいいから」
行かなくていい……のか? でも急に何で?
「あのなぁ──」
言ったもんだかどうだかと、親父さんの表情が語っている。
「あそこの部屋な、結構歳のいった婆さんの独り住まいだったんだけどよ。亡くなってたらしいんだ。今日の昼前に発見されたんだけど、時間が経ってて結構ひどい状態だったらしいぞ」
どうやら家賃の振込が遅れてて、大家が覗きに行って発見しちまったんだと。うちは今月の集金前だったからなぁ。何日かずれてたら、うちが第一発見者って可能性もあったかもしれないぞ。
親父さんはそんな事を説明してくれていたけど、俺の耳には入っちゃいなかった。
今日の昼に発見された時には、既に亡くなってから随分経ってたって……それじゃ、今朝俺が見たのは「誰」なんだ? 独り暮らしだったんだろ?
「親父さん……そのお婆さんって、あの部屋のどこで見つかったんですか?」
苦い唾を飲み込み、俺は親父さんに尋ねてみた。
「あ? ああ、入口からは見えない奥の部屋らしい。そもそも、あのアパートは取り壊しが決まってて、他に住人はいなかったそうだ。その婆さんも、身寄りがないんでギリギリまであそこに住まわせて欲しいって約束だったみたいでな。異変に気付く隣人も、尋ねてくる家族もいなかったってこった。誰にも気付かれずに、たった独りで死んでかにゃならんとはね」
はぁー、とため息混じりに煙草の煙を吐き出して親父さんは首を振った。
そんな事は、この際どうでもいい。
『入口からは見えない奥の部屋』
『他に住人はいない』
『身寄りがない』
『異変に気付く隣人も、尋ねてくる家族もいなかった』
では、あれは? 俺の見た「顔」は何だ?
話を聞けば聞く程、頭の中が混乱する。もうダメだ……。
「すみません……今日は帰ります」
「うん? 大丈夫か? ひどい顔してんぞ。──まあ、自分の管轄でそんな事があったって聞けば当り前か。今日はゆっくり休め。また明日から頼むぞ」
「はい……」
ぼんやりとした頭で親父さんに挨拶し、俺は店を出た。
今日は色んな事が起こり過ぎた。帰って、少し眠ろう。


気持ちを切り替えるのに時間はかかったけど、所詮は俺の生活の中に存在していなかった人間の事だ。
配達のルートからあのアパートが外れ、建物の前を通らなくなって数日。少しずつ俺の記憶は薄れ、日常生活を取り戻しつつあった。
たまたま買物に出かけた時、久しぶりにアパートの前を通りかかった。建物が立っていた場所はすで取り壊されて更地になっている。
誰にも気付かれずに亡くなった住人の事を思い出し、少しだけ哀れに思った。もしかしたら、朝刊を配達する俺だけが彼女と接する人間だったのかもしれない。
そんな事を考えていた時、ポケットの携帯が鳴った。自転車を停め、携帯の画面を確認すれば自宅からの電話だ。
「はい、もしもし?」
何か急用だろうか? どこからかけてるんだ? 雑音がひどい。
『…………』
何だか随分と遠い所から聞こえてくるような、くぐもった低い音──声?
『……ン…ダ……』
「え? もしもし、聞こえないんだけど。何?」
相当ノイズがひどいぞ。
なかなか聞き取れない相手の声に、俺はイライラして声を荒げた。どうせこれから家に帰るんだ。そう大した要件でもないだろう。
そう判断した俺は、携帯を切ろうと耳からわずかに離した。
『……オ…ガ………ンダ……』
「え?」
聞こえそうな単語に、俺は携帯を耳に当て直した。その瞬間、聞こえてきたのは──。
『……オ前ガ見殺シニシタンダ!!!』
怒りのにじむ低い女性の声が、俺の携帯を通して耳に届いた。
『オ前ガ見殺シニシタンダ オ前ガ見殺シニシタンダ オ前ガ見殺シニシタンダ オ前ガオ前ガオ前ガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガアアアアアアアァァァァァァァ…………』
壊れたカセットのように同じ言葉を繰り返したかと思うと、プツリと音が切れた。その沈黙がかえって恐ろしい。携帯を切ってしまえばいいのに、耳から離す事も出来ない。
『オ前ガ私ニ気付イテイレバ助カッタノニ オ前ガ見殺シニシタンダ オ前ヲ許サナイ 恨ンデヤル 恨ンデヤル 恨ンデヤル恨ンデヤル恨ンデヤル恨ンデヤル──』
繰り返される恨み言にハッと我に返った俺は、慌てて携帯の通話ボタンを押した。思わずマジマジと手の中にある携帯を見つめてしまった。
あれは……もしかして……。
エンドレスで吐き出される恨み言。俺に思い当たる節は一つしかない。
背後に冷たい風を感じて、振り返る。取り壊されて更地になった赤黒い地面の上で、申し訳程度に残っている雑草の葉が手招きするように揺れていた。
でも、それは……逆恨みってもんじゃないだろうか。
ただ、相手にその理屈が通用するとは思えないんだが……。

結局のところ、俺は高校を卒業するまで新聞配達のアルバイトを続けた。親父さんは卒業してからも社員として残ってくれないかと言ってくれたけど、そもそも家業を継ぐのが大前提だったからな。
だが、目的にしていた高3の夏休みの自転車旅行に行くことが出来なかった。
あれからも、かかってくるのだ。
誰一人看取ってくれる人のないまま亡くなった古アパートの住人が、朝刊を配達するという、たったそれだけの繋がりを求めて。
ただそれだけの繋がりしかないはずの俺に。
忘れた頃にかかってくる。

『……オ前ガ見殺シニシタンダ』

─ 了 ─

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