メクる

累計 17322648 スキ
BL・アダルトの
切り替えはこちら

リレーション

短編小説
恋愛
オリジナル
2017年11月29日 08:28 公開
1ページ(3973文字)
完結 | しおり数 0

最愛の妻と猫のたまじろうが僕の家族だ

野芝乃でんこ

表紙提供:by ck2
  • 閲覧数

    390

    818位

  • マイリスト

    2

    184位

交通事故で妻を亡くした男のお話。
フォント
文字:--%
行間:--%
 目の前で妻の智子はスポーツカーに轢かれた。
 とても晴れた日だったことを覚えている。
 友人から「仲がよすぎる」といつもからかわれていた僕たちは、外を歩くとき必ず手を繋いでいた。華奢であるのにふっくらとした彼女の手のひらは、いつでも僕に安らぎをくれた。
 映画を観に行くつもりだった。家から歩いて十五分の場所にある映画館は今にも潰れてしまいそうなほどにひと気がなく、僕たちはそこが気に入っていた。
 夏で。瑞々しい街路樹にとまった蝉が、鳴き声を張り上げていた。
 ――大きな声で何を喋っているのかしら。
 智子が無邪気な笑顔で言った。四歳年下の彼女は、四十六歳だとは思えない若々しさだった。とくに老化対策をしていたわけではないと思う。そんな姿をあまり見たことがないからだ。溌剌とした、新緑を思わせるような雰囲気は、きっと持って生まれたものなのだろう。
 僕は智子の手を、繋いでいる手の親指でそっと撫でた。
 ――何とか聞き取ってみたらどうだい?
 智子はしばらく黙って耳を澄ませた。それから少女のように愛らしく唇を尖らせ、膨れっ面を浮かべた。
 ――そんなの無理よ。清二さんはわかるっていうの?
 先に智子が歩みだし、手をぐいぐいと引っ張ってきた。早く行かなければ映画が始まってしまうとでも言いたかったのか、それとも、意地悪なことを言った僕に対するささやかな復讐だったのか。
 ――ううん、無理だな。蝉の声を人間の言語に変換できるような耳が必要だね。
 ――それをするならばまず、普段は聞こえないようなもの……例えば草花の声なんかを聞いてみたいわ。彼らだってきっと何かを喋っているに違いないもの。
 彼女は笑みを輝かせた。すごく可愛い表情だった。
 手を引っ張られるがまま交差点を渡ろうとした、そのとき。
 ……確かに青信号だった。空と同じ色を確認してから信号を渡ったのだ。
 突然、視界に現れた赤い色。スポーツカーが右から急カーブで曲がってきた。
 危ないと思ったのは一瞬だった。
 智子の身体が宙を浮いた。バレッタがどこかに吹き飛んだのか、ひとつに束ねられていた長い髪は、顔の周りにぶわりと散らばった。はじくように離れた手がとても悲しかった。
 彼女は人形みたいに道路へ転がった。その身体を大きなタイヤが踏み、身の毛のよだつ音が鼓膜に届いた。
 ただただ茫然と、僕は、見ているすべてが現実だとは思えずに立ち尽くしていた。
 数分。頭上から降る日の光の眩しさを感じつつ、彼女の身体から流れる血を見た。それから慌てて愛する妻のもとへ駆け寄ったのだが、彼女は白目を剥いて痙攣し、口から赤い泡を吐いて、ゆっくりと静かになった。
 通行人が呼んでくれた救急車がやって来た頃には、誰から見ても智子は死んでいた。



 悲しみは、まるで錆のようだ。
 水に沈んだ鉛が徐々に錆をこびりつかせ、身を重くする。
 拾い上げて何度磨いても、一度ついた錆はなかなか削ぎ落とせない。それどころか、磨いた傷までもが残ってしまう。
 しかし静かに錆びついてゆくことを見守れはしない。環境が許さないし、智子だって、僕の悲しんでいる顔ばかりを見せられてはたまらないだろう。
 子供に恵まれなかった僕たち夫婦にとって、飼い猫のたまじろうは息子のようなものだ。
 朝、目が覚めて最初に見たのは、僕の枕元で身体を丸めて眠るたまじろうの姿だった。彼は妻が亡くなってから、僕に寄り添ってくれている。
 まだうつらうつらしているたまじろうの背中を撫でてやると、目を覚ました。視線を宙にうろつかせてから、背中の毛をわずかに逆立たせる。
 背中を何度も撫でられるうちに、たまじろうは思い出したのだろう。僕の肩にすり寄ってきて、小さな声で鳴いた。
 ベッドから起き上がり、大きく伸びをして、たまじろうの朝食を用意してやる。それは智子の役目だったのだが、彼女はもう――……。
 たまじろうが朝食をとっている間に、僕は顔を洗って身支度を整える。智子が亡くなってから半年が経過したのだ。もうそろそろしゃんとしなくては、職場の人間からいい顔をされないだろう。
 簡単な朝食をとり、鞄を持って仏壇の前を通り過ぎる。リビングやキッチン、寝室は繋がっており、狭ければ独身者が暮らすワンルームマンションに似ている。引っ越そうかとも話していたのだが、夫婦ふたりに猫一匹だけの生活だったのでやめた。
 家を出るまえに、リビングの左端を眺める。
 玄関ドアを開くと、外は雪が降っていた。



 午前の仕事は、流れゆく川の水のように滞りなく終わった。
 デスクワークがきつく感じるのは歳のせいなのか。それとも腹回りに少々肉がついてきたからなのか。椅子に座るとベルトがきつく感じる。
 会社近くの定食屋に行くと、同僚である佐川の姿があった。
 ひと声かけて隣に座る。
「今日は鯖の味噌煮定食が安いぞ」
 受け取ったメニューを眺めてから、彼に視線を向ける。テーブルにあるのは鯖の味噌煮定食だ。並んで座って同じメニューというのもいかがなものかとは思うが、まあいいか。店員に鯖の味噌煮定食を告げた。
 水を飲んでいると、店の端にあるテレビからニュース番組の始まる音楽が流れた。
「ニュースで思い出した。なぁ、やっとなんだと。声がわかるようになるってさ。しかし俺はなかなか勇気が出ないなぁ。興味があっても、新しい試みにはすぐに飛びつけないよ」
 白い飯をもりもり食べる佐川に、僕は苦笑する。
「僕はモニター募集に飛びついたよ。今日やる予定だ」
「本気か? って、ああ、そうか。そうだよな。すまん」
 佐川の顔がすぐさま暗くなる。
 僕はニッコリと笑った。
「気にするな。それに、目だってほら、昔は見えていなかったらしいじゃあないか。それが今、僕たちは見えているのだから……耳だってそのうち、聞こえることが当然となる時代がやってくるさ」
 店員が鯖の味噌煮定食を運んできた。味噌の香ばしい匂いに唾液が湧く。
 ふとテレビに視線を向けたら、にこやかに話すアナウンサーの姿が映っていた。隣にいる男性は白黒で、口を金魚のようにぱくぱくと動かしている。
「鯖、うまいだろ?」
 佐川の声を受け、鯖の身を箸で解す。舌の上に転がしたら、味噌の味がとてもよく染みていた。



 例の注射を受けてから帰宅した。これで本当に変化が訪れるのか半信半疑であるが――それでも。
 玄関に入る。靴はきちっと揃えて靴箱にしまった。
 たまじろうの姿を捜す。ああ、いた。ベッドに横たわり、天井の右端をじっと眺めている。
 彼の視線の先に目を向けた。
「ただいま、智子」
 声を掛けてみる。白黒の、妻の姿に。
 宙に漂っていた智子が、ぱぁっと顔を輝かせた。色がついていなくてもわかる。その、少女のような無邪気な笑み。生前と同じくきれいな身だしなみをしており、やはり若々しい。
 唇が、金魚のように何度かぱくついた。
 手招きして、もっと近くに来させる。
「耳元で話してみてくれないか」
 智子は僕の肩に手を置こうとしたようだ。手がするりと通り抜け、胸元に貫通したような状態で留まった。
 耳にほのかな風を受けた気がする。
 ――ど、う、し、て、あさ、こえをかけて、くれなかった、の。
 聞こえた。
 確かに聞こえた。
 古びた音源のように、ざわざわとノイズが走ってはいるが……智子の声が。最愛の妻の声が。
 ぶわりと涙が膨れ上がった。
 顔を両手で覆い、しゃくりあげようとする喉の動きを必死にこらえる。
「どうして、って、君……っ、今朝はリビングの左端で……朝寝坊、していたでしょうが」
 ああ。涙が止まらない。ずっと聞きたかった声を、やっと、耳にできて。
 人は死んでも、幽霊という存在となって、一定期間――生まれてからちょうど百五十年程は、この世界にあり続けられるらしい。それだけはなんとなくであるがわかっている。こうして目だけでなく、耳でも彼らを捉えられるようになったということは……研究が進めばもっと深く接することができるようになるかもしれない。
 ――なか、ないで。
 智子の声は優しい。どれだけがさついていても、ノイズが混ざっていても、胸を締め付けてくる。熱くさせる。愛しいという心が溢れて。
「抱きしめたいけれど」
 腕で乱暴に顔をぬぐい、智子に笑顔を向ける。
「君に、まだ触れられないから、さ」
 たまじろうが僕らのそばにやって来た。喉を鳴らし、足にすり寄ってくる。
 ――たまちゃんの声も、いつかは、何って言っているのかわかるように、なるのかしら。
「どうだろうね。ただ、聞いた話だけれど、次に行っている研究は君たちのような存在に触れられるようになること、らしいよ」
 きっと研究が成功したとしても、この目や耳のように、生前とまったく同じようには触れられないのだろう。しかしそれでも。ほんの少しだけだとしても、触れ合うことができたならば……手を、繋ぐことができたら。今度はもう二度と、何が起こっても放さない。
 空腹を訴えてくるたまじろうにご飯を用意している間、智子は僕の周りをふわふわと飛んだ。
 暖房をつけていない部屋は寒く、しかし、胸が熱くて、何度も涙が込み上がる。
 風が吹いたようで、キッチンの窓ガラスががたたっと鳴った。それにつられたのか、たまじろうもにゃぁんと鳴く。
 猫缶を皿にあけながら、「ずっと聞きたかったのだけれど、髪を束ねているバレッタはどこで見つけてきたのかい?」と智子に尋ねたら、「あなたが、棺に入れて、くれたんじゃ、ない。もう、忘れないで、よね」と、ノイズの混ざる拗ねたような声で怒られた。
 


スキを送る

累計 110 / 今日 0


残スキ 300

『スキ機能』とは?
『スキ機能』とは『スキ』ボタンを押すことで作品や作者を応援できる機能です。
※拍手機能に類似した機能です。

[スキ機能のルール]
※1人あたり1日に300回まで『スキ』を送ることができます。
※1作品でも複数作品でも合計が300回まで『スキ』を送ることができます。
※『スキ』は1スキ、『大スキ』は10スキ、加算されます。
※1日に与えられるスキの数は毎朝4時にリセットされます。
※自分の作品にはスキ機能は利用できません。
※『スキ』は匿名で作品に送られます。

スキ!を送りました

マイリストに登録する

この作品につぶやく

#リレーション
 

500

みんなのつぶやき 一覧

  • 野芝乃でんこ 11月29日
    小説「リレーション」を公開しました。
    最愛の妻を交通事故で亡くした男の話。
    テレビに映るのは、にこやかなアナウンサーと金魚のように口をぱくぱく開閉させる白黒の男。外は雪が降っており、飼い猫のたまじろうが時折部屋の隅をじっと見つめながらにゃあぁん、と鳴く。

    読み切り短編です。
     #リレーション
    詳細・返信(0)

タグ一覧 編集

この作品にタグはありません

ツギクルランキング参加中

ツギクルバナー

友達に教える

  • ツイートする
  • イイネ
  • なうで紹介
  • はてなブックマーク
  • GoogleOne

この作品を見た人はこんな作品も 一覧

作者の投稿小説(9) 一覧

作品登録マイリスト 一覧

完読お気に入り(短編) (12)
お気に入り (103)

その他


コーナー R

作品宛みんなのつぶやき

  • 野芝乃でんこ 11月29日
    小説「リレーション」を公開しました。
    最愛の妻を交通事故で亡くした男の話。
    テレビに映るのは、にこやかなアナウンサーと金魚のように口をぱくぱく開閉させる白黒の男。外は雪が降っており、飼い猫のたまじろうが時折部屋の隅をじっと見つめながらにゃあぁん、と鳴く。

    読み切り短編です。
     #リレーション
    詳細・返信(0)

もっと見る

作者の他の作品一覧

一覧を見る

copyright (c) 2013-2018 メクる Co.,Ltd. All rights reserved.